静かな農村
山形県鶴岡市の黒川地区は、山岳信仰で知られる出羽三山の麓にひっそりと佇む農村です。そこには、今から約600年前に伝わったとされる伝統芸能「黒川能」が今もなお春日神社の氏子の手によって受け継がれています。
黒川能は利益を目的としたエンターテイメントではなく、黒川の神に捧げる神事能であるため、どんなに苦心して継承しても利益はになりません。黒川の人々は金銭では測ることのできない絆の下に一致団結し、時代がどんなに移ろい変わろうとも絶やすことなく伝統を守り抜いてきました。
黒川には、春日神社の氏子が240戸があり、そのうち能役者は囃子方を含めて子供から長老まで約160人にものぼります。そのため家族や友人に能役者いることは珍しくなく、地域の生活全体に古の芸能が生きています。
春日神社
平安時代の初期に創建されたとされる春日神社は、慶長14年(1609)に社殿が建立され、社殿内の神殿の正面に能舞台が設られました。社殿内に能舞台があり、なおかつ揚幕から能舞台に通じる橋掛りが2つある神社というのは、日本全国にある能舞台の中でも春日神社のみです。
橋掛りが2つあるのは、黒川には春日神社を境にして、南側の上座と、北側の下座という2つの能座があるためです。上座が男性、下座が女性を表しており、男女の交わりによって生まれる新しい命を表現しているともいわれております。
能中心の生活
鎮守である春日神社の年4回の例祭に、神事として黒川能が奉納されますが、中でも旧正月にあたる2月1日、2日に行われる「王祇祭(おうぎさい)」は最大かつ最も重要な祭事です。
2月1日の未明、春日神社の御神体「王祇様」が上下両座それぞれの当屋へ迎え入れ、祭りが始まります。この当屋は、両座それぞれの氏子の最年長者の家が務める事が慣わしとされており、当屋となった家は、親戚を総動員し、1年をかけて祭りの準備を行います。
その常軌を逸した祭りへ賭ける結束に、昔から近隣の地区からは「黒川には嫁をやるな」と言われるほどでした。
黒川の現状
600年の長きにわたって伝統を守り続けてきた黒川ですが、近年は現役世代の都市への流出、それに伴う人口減少と地域住民の高齢化に歯止めがかからず、地域の存続すら危ぶまれております。
黒川の生活、そして住民の努力の賜物である黒川能を未来へ繋げていくために、今新たな取り組みが求められています。